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5月, 2023の投稿を表示しています

1周年

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   気がつけば開設したのは1年前だった。1周年だ。いつ更新するとか、何も決めずに気ままに書いているので、この間までずっと放ったらかしだった。ちょっと忙しかったのもあり、ブログ更新は後回しになっていた。それがね、この間帰省してお散歩している時に母に言われたんだ。「はちべえ、最近更新してないわねえ。ときどき見てるのよ。」「ねえ、やると決めればできるものよ。本当よ。」自分のブログを定年後は毎日更新すると決め、それを実行している母。軽く息を弾ませ、そう言う母の頬は少し赤らみ、髪を揺らす風も光っているように見えた。  実家には3泊ほどして、うちに戻り、机周りを色々と片付けていたら新聞の切り抜きが出てきた。月に1度くらいだろうか、ときどき掲載されるモリノサカナさんの絵本。絵がかわいいので気に入っている。切り抜いてあったのは鳥さんの絵だったからだろう。 カルガモのママがいいました。「およぎの れんしゅうを はじめますよ! やると きめれば できる、できる!」…  あら!あの時、私のママが言ってたこと! あるとき いけから こどもたちの こえが きこえてきました。「やると きめれば できる、できる!」といいながら、 みんなが およいで いたのです。…  そうか。「やると決めればできる」だ。  なんだか、不思議だね。世の中の事象はつながっているね。それで、放ったらかしだった八兵衛のおねえちゃん、ぽつぽつだけど、また更新できるようになったんだ。

2.5分の魂

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   その子は小松菜の中にいたんだろう。小松菜についた土を洗い流した後に、シンクのゴミ受けにへばりついていた。もうダメかなあとのぞき込むと、生きてるよ!と動いてみせた。そうか、生きてたか、ちょっと困った私、コミュニケーション取っちゃったら、何とかするしかない。それで、1枚残した小松菜にその子をのせて、プチトマトが入っていたプラケースに穴を空けたのの中に入ってもらった。最初はじっとしていたけど、小松菜をパクパク食べて、pooもコロコロとして、元気そうだった。コロナ生活で蝶々の幼虫の保護と羽化に目覚めたCセンパイ風に「青ムッちゃん」という名前を付けて、私も久しぶりにモンシロチョウの羽化が見られるかもとワクワクしていた。  ところが翌朝、青ムッちゃんの様子がおかしい。顔が黒くなっていて、pooも変だ。青ムッちゃんの部屋には小さなゴミのような食べかすのようなものが散らかっていて、荒れている。不穏な空気。病気かも、とションボリしながら、新しい小松菜に換えて、プラケースを閉じた。いや、脱皮の可能性もある?と少し希望を持ちながら、そっとしておいた。  そして翌日、その微かな希望は打ち砕かれ、青ムッちゃんは前よりもっと縮んでいて、表面もカサカサしているようで、明らかに命は風前の灯火だった。だから、最後に祈りの言葉を聞かせて、サヨナラしようと私は青ムッちゃんを隣に置いて祈った。  すると、なんてこと!青ムッちゃんが動き出したのだ。本当に。もうビックリだ!ちょっと動く、とかではなくて、プラケースの中を動き回った。すごい。祈りの言葉は蘇生の言葉だ。本当なんだ!青ムッちゃんに教えられるとは!と驚いて、なんだか楽しくなってきて、弾むように祈り続けた。  青ムッちゃんは、きっとこれから蛹になるのかも。だから、これまでじっとして体力を温存していたんだ。それで、今から鶴の恩返しみたいに、誰も見ていない時にこっそり蛹になるんだ。とちょっとワクワクしながら、またそっとしておいた。  しかし、青ムッちゃんは蛹にならなかった。ますます小さくなったように見えて、もう命は燃え尽きたかのように見えた。それが、不思議と、祈りの言葉を聞くと、少し動いてみせるんだ。もう楽にしてあげたほうがいいのかもしれないとも思ったけれど、ここまで来たら、お見送りするのが私の役目だと決めた。  青ムッちゃんとの日々は1週間だった。ま

タマゴイロノホタルバナ

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   朝の連続テレビ小説を久しぶりに見ている。第1回の日はちょうど実家に帰っていて、7時のニュース番組に出ていた主演の神木くんのインタビューまで見たのに、その後は見逃してしまって、残念ながら最初の日以降の子ども時代を見ることなく、第2週からの視聴だ。けど、『らんまん』、Tくんと楽しく見ている。  ドラマのモデルになっている牧野富太郎、実は小学1年生の時から知っている。小学校入学のお祝いにもらった本の1冊が「えらい人のはなし 小学1年生」みたいなやつで、色々な人の伝記集だった。その中に牧野富太郎さんがいたんだ。  その後の私の人生において、牧野氏のことが特に何かの話題になることはなかったけれど、10年以上前にTくんと行ったハーバード大学の自然博物館で、牧野富太郎さんの名前を見つけた時には興奮した。「わあ!あの伝記の人だ!すごい、こんな所で出会えるなんて!」それで、Tくんにも、ちょっと偉そうに解説した、というのは嘘で、日本の植物学の第一人者なんだよと注目させたくらいのことだったけど、Tくんもへえ!と感心してくれて、ちゃんとその時のことを覚えていた。  もう、こんな季節か。ドラマの主人公のように道端の草に目をやった。やわらかい光を灯す小さな花が咲いている。午後、ちょっと太陽の光が斜めになって来てから咲く花だ。この花は八兵衛に教えてもらったか、いや八兵衛に教えたか、どっちがどっちだったのかは忘れたが、ふたりで遊んだ風景をほのかに彩る花のひとつだ。だから、この花を見かけると、いつも八兵衛のことをおもうんだ。  この黄色い色、太陽に向かって力強く笑うヒマワリの花の黄色とは全然違う。夕方から一晩だけ咲いて、朝にはしぼんで、朱色になってしまう。この花はたまご色だね、とか、ホタルの光の花だね、とか言い合って、ふたりとも妙に気に入っていた。太陽の下ではなく、月の光の下で咲く花だから、なんとなく印象だけで「ツキミソウ(月見草)」と呼んでいたけど、いつだったか、それは違うらしいと分かって、でも何という名前なのかはちゃんと明らかにせずにいた。  例のごとく、グーグル先生に聞いてみた。写真と照らし合わせてみると、どうやら「コマツヨイグサ(小待つ宵草)」みたいだ。  牧野先生に聞いてみたかったけどね。

松の香り

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   天気の良くなかった今年のGWだったが、スカッと晴れた日もあって、その日はドライブ。松林の中を通る海岸線の道を駆け抜けた。窓を開けていたんだろうか、微かに松のにおいがした。松のにおいがする、と言ってもTくんには分からない。Tくんが風邪をひいていたせいもあるかもしれないし、本当は松のにおいなんてしていなかったのかもしれない。でも確かに「松のにおいだ」って感じたんだ。  嗅覚は記憶と結びつきやすいと聞く。そのにおいは子どもの頃に過ごした町を思い出させた。このにおいが含まれる空気の中、近所のみんなで自転車に乗って市民プールへ行ったこと、母のこぐ大きな三輪車の後ろの荷台カゴに八兵衛と二人のせられて、ピアノのレッスンに行ったこと、朝早く学校か幼稚園かが始まる前に父と出かけた砂浜の向こうに見えるお神輿。ごちゃ混ぜになって色々なことが湧き出して、グルグルと頭の中をかき回して来た。  いや、こんなイベントごとの時だけじゃなく、単に車で移動中に、よく通った海辺の道、窓を開けると常にこんなにおいがしていた。  防風林の松の香りは、あの町の記憶の鍵だったんだ。

薔薇を許せ

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   今年は全体的に花たちの季節は早く進んでいるようで、すでに我が家のバラ(アンジェラちゃん)は品なく咲き誇っている。彼女の実家であるHさんちの美しく高貴な薔薇さま方とは大違いだ。バラは難しいという思い込みがあったので、当初、家にはバラは植えていなかった。引っ越して来てすぐの春、ご近所のHさんちのオープンガーデンにお招きいただいて、帰りにこのアンジェラちゃんの鉢を「これは強いから大丈夫!」との励ましと共にお土産にもらって来たのだった。品よく咲かせるには冬の剪定が決め手なんだと思う。そこが難しくて、毎年春だけはこんなにワァワァ咲くアンジェラちゃん。品はないけど、庭が一気に華やぐ。  バラを植える気が無かったのは難しそうという理由だけではなく、バラには複雑な気持ちがあったからだ。実はバラが好きじゃなかった。子どもの頃も庭に薄いピンクのツルバラがあったから、ぎりぎり「ピンクなら許そう」とピンクは許容範囲にしていたけど、赤い薔薇が嫌いだった。Hさんにもらったアンジェラちゃんもピンクだったから受け入れられたのかもしれない。  赤い薔薇が嫌いだったのは、小さい時に見たアニメのせいだ。小さな小鳥が薔薇の棘に胸を押し当てて血を流して白い薔薇を赤く染める、そんなシーンがある悲しい哀しいお話だった。その頃、うちにはJさんそっくりの白文鳥がいたから、その子とアニメの中の小鳥とを重ね合わせて、大泣きした。赤い薔薇を絶対に許さないと誓った。  そんな話が本当にあるのか、記憶は薄ぼんやりとしていたけど、そのことを思うとみぞおちに熱い塊ができて苦しくなって、怒りが込みあげて来てたから、そのアニメを見た体験は現実なんだと思う。いつだったか「薔薇とナイチンゲール」というフレーズを耳にしたような気がして、もしかするとこれがあの、小さい頃に見たアニメの正体なのかもしれないと思ったけど、ずっと調べずにそのままにしておいてきた。  それを今日、グーグル先生に聞いてみたんだ。  出て来た。『ナイチンゲールと薔薇』だって。オスカー・ワイルドの童話だった。話の筋はだいたい記憶どおりだ。だけど赤い薔薇をカタキにするのは、ちょっとお門違いだったかもなあ。カタキにするべきものは5歳児には到底理解できない、人類にとって永遠のむずかしさを抱えるものだ。でも、5歳児がこの悔しい辛いやるせない気持ちをやりすごすためには、「赤い