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6月, 2023の投稿を表示しています

みんなで学んだ人権

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   市の人権委員のための研修会に参加した。昨年度から委員になっているので、研修会は今回で2回目だ。市の係の人に人権教育啓発についての基本方針だとか、委員の役割だとか、スライドを見ながら説明してもらうのだけれど、一番の山場(?)はDVDだ。研修用に作られたであろうドラマをみんなで見るのだ。昨年度はヤングケアラーを題材にしたドラマを見た。新聞とかテレビとかで一応知っていた「ヤングケアラー」ではあったけれど、やっぱりドラマで見ると違った。ストーリーに引き込まれ、ドラマの人たちに感情移入して見ていくうちに、「ヤングケアラー」という言葉がぐっと自分に入ってきた。そんな研修用のドラマを今年も見たんだ。  今年のドラマのテーマはLGBTQだった。6月がプライド月間だからかもしれない。性の多様性を表すシンボルが虹だっていうことは知っていたから、レインボー月間って誤解していたけど、ちゃんと調べてみたらプライド月間ということがわかった。研修室に通されて、配布された資料の中に「多様な性を認め合える社会へ」と書いてあるパンフレットが入っていた。  小さなまちのコミュニティーセンターで、こんなテーマのドラマ、大丈夫かしら?!と心配になった。周りを見回したら、頭の固そうな昭和生まれ間違いなしのオジサンばっかりだったから。  私の心配をよそに、そのドラマは上映された。心は男性なのに体は女性で、ずっと女の子としての人生を歩まされてきたことに、ずっと苦しんできた子が主人公だ。その子が二十歳を迎えるにあたってのストーリー『バースデイ』。  37分間、昨年と同じように、すっかり引き込まれて見入っていた。ラストシーンでは、ジンとした。いや、自分がジンとするより先に、誰かが鼻をすするのが聞こえてきたんだ。それに、左前のオジサンがメガネを外しているのが見えた。目頭をおさえているみたい。どう見ても昭和のオジサンだ。  最近は家でばかり見ていて、こうやって映画館のように見知らぬ人と同じものを見るという体験に乏しかったから、「みんなで共有する心の動き」の中に久しぶりに入って、そのことに感動してしまった。市の主催する研修会なんて、委員になる前は気にも留めていなかったんだけどね。今回も参加してよかった。  ところで、冒頭の写真はAmazonプライムで少し前に見たイギリスBBCのドラマ『ライフ 私たちの生きる道』だ。こ

犬も歩けば

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   今日もまた車が止まってくれた。横断歩道を渡ろうとして、左を見て右を見て、また左を見て…と、しているうちに。  親切な運転手さんに出会えたことに感激しながら、「わあ、いいんですか。ありがとうございます。」と小さいけど声に出して言いながら、ぴょこりと頭を下げて、小走りに道を渡る。最近、こんなことが多くなった気がする。この小さな町に引っ越して来たばかりの頃は、そんなことなかった。青信号を渡ろうとして轢かれそうになったことがあったほど、運転マナーの悪いところ、という印象だった。歩行者の少ない田舎だから、そういう傾向があるのかもね。今もやっぱり車がイチバン!ビュンビュン風を切って、我が物顔に走ってることが多いかもしれない。  20年くらい前、カナダに行って驚いたのは歩行者の強さ?だった。というか、逆に、歩行者のマナーが悪すぎ。車が向こうからやって来ている!というのに、歩行者は平気で道を渡るんだ。「え!?今、車来てるよ?!危ない!」とこっちは足がすくむんだけど、どんな車も直前で必ず減速、止まって、歩行者が道を渡り終わるのを待ってくれる。これが横断歩道じゃなくても、どんなに変なところを渡ろうとしても、車が走って来ている直前でも、必ず歩行者優先で渡らせてくれる。それをいいことに、どこからでもヒョイと渡ろうとするマナーの悪い歩行者には呆れたけど、このカナダの車が「強いものが弱いものに優しくするんだよ」って、教えてくれた。  そんな優しい車がこの町にも増えて来たんだね。朝の一瞬の出来事が、ふわりと幸せを運んでくれる。ふわり、ふわり、バス停まで歩く足取りも軽やかになった。ほら、歩けば、幸せに出会えるんだ。犬も歩けば棒に当たる、だ。  あれ?「犬も歩けば棒に当たる」って、逆の意味だったっけ。母の愛読書『広辞苑』はウチには無いので、中学生の時から使っている『三省堂国語辞典』を引いてみた。      思いがけない災難に遭うことのたとえ。(幸運に出会うことのたとえにも) あら、どちらも一応正解なんだね。

濡れ鼠でも晴れやか

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   今日は、「カラッと」とはいかないけど、梅雨の晴れ間。青空が嬉しい。  昨日はというと、朝から(いや前の晩から)ざあざあ降りだった。ズボンの裾を何回か折り曲げて、短い長靴を履いて、バス停まで歩いて10分強。そんなに風が強かったわけじゃないのに、ズボンの前側はぐっしょり、シャツのおなかもびっしょり。あーあ。もう!レインコートが必要だね!とゲンナリしているうちにキュッとバスがやって来た。小さな小さなコミュニティバスだ。  あーあ。もう!チャチャっと乗り込んで近くの椅子にドンと腰掛けて、濡れた服やらリュックやらを何とかしようとゴソゴソしていると、次の次の停留所ぐらいだっただろうか、バスは止まった。  けど、バスは一向に動き出さない。あれ?おかしいぞ?と乗車口の方を見ると、そこだけ情景はスローモーション。小さな小さなおばあちゃんが、懸命に、小さな手を伸ばして手すりを握ったところだった。あっ!と、気がつくより早く、奥に座っていた若い女性が駆け寄り、おばあちゃんに手を貸した。そして、遅れて立ち上がった私。ふたりでおばあちゃんを両側から見守り、いや運転手さんも、背中で見守り、気をつけて、ゆっくり、ゆっくりね。おばあちゃんが無事に椅子に座るのを見届けた。やっと椅子に到達できたおばあちゃんは、じっとじっと見つめて「ありがとう」を伝えてくれた。言葉もむずかしいようだったから。  奥からサッと駆け寄り、手を差し伸べたその人は20代ぐらいのラテン系の女性だった。大学の方を回ってくるバスだから留学生だろう。  おばあちゃんと留学生のおかげで、私、濡れ鼠だったことはすっかり忘れて、バスを降りてからもまだ雨はざあざあ降っていたけれど、不思議だね。晴れやかな気持ちで学校に行ったんだ。

アジサイの大発見

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   庭のヤマアジサイがひっそりと咲いている。咲き始めたのは先月だから、ふつうのアジサイよりも早いみたいだ。小ぶりで繊細なこのヤマアジサイが好きだけれど、元気いっぱいのアジサイも実は結構好きだ。  アジサイというと、母が職場でもらってきたピンクとブルーのアジサイの切花を思い出す。挿木にできるよ、アジサイは強いから!と言われてきた母、その通り!見事に根付いて大感激だった。「挿木」という言葉、このアジサイから学んだと思う。まだ小さかったはずなのに、よく覚えているのは母が繰り返し話したからだと思うんだ。「ほんとにアジサイって強いのよね」って。それで、引っ越しした次の家にも連れて行ったような記憶があるけど、それはあまり定かじゃない。  アジサイ、スペースキーを叩いて変換すると「紫陽花」だ。今更ながらに、あれ、「陽」だ。太陽の陽!  今日うっかり1日早まってお祝いメッセージを送ってしまったんだけど、明日はIちゃんの誕生日だ。Iちゃん、名前に「陽」の字がある。名前の通り、いつだってニコニコ笑っていて、気持ちを明るくしてくれる子だ。中学生の時から今日の今日まで、太陽みたいなIちゃんだと思っていたけれど、それ、違っていたのかもしれないな。雨の続く季節にも皆を笑顔にしてくれる紫陽花。元気いっぱいで美しく強い紫陽花。「陽」はきっと紫陽花の「陽」だ。  まだ白い紫陽花が色づかんとしていたそんな頃、Iちゃんは生まれたんだね。