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空色の卵

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   「ひばりのす みつけた / まだ たれも しらない」  巣の中に卵が5つ。ビデオに映っていたのを見て、Tくんと2人、息を飲んだ。なんてこと。5月の連休、最後の土曜日のことだ。  裏庭の木香薔薇やら紅葉やらを剪定していたTくんが、「怪しい巣があるから、来て」と言ってきた。今度はまたどんな恐ろしい虫の住みかができたのかと、恐る恐る見に行った。玄関裏の紅葉の、家の壁際の枝に作られたそれは、手の届きそうな高さにあり、げんこつ大の蜘蛛の巣のかたまりのようだった。  うわあ!こんなの早く撤去しないと!うひー!どうすればいいのー!と、最初は2人とも気が動転していたが、落ち着いてよーく見ると、蜘蛛の巣のベールの向こうに細い枝のようなものがある。白いベールには大手毬の花がところどころ見え隠れして、なんだか芸術品みたいだ。これ、小鳥の巣かもしれない。 「そういえば、最近、メジロが紅葉によく来てた」とTくん。Tくんのアイディアで、そうっとiPhoneで、巣の上からビデオを撮ってみたんだ。    小学生の頃、家の雨戸に野鳥が巣を作ったことがあった。父はその巣を撤去した(今は卵や雛のいる巣を撤去するのは法律違反らしいけど。)ムクドリの巣だ、と父は言っていたけど、そうだったのかな。  卵はウズラの卵ぐらいの大きさで、見たことのない色だった。空色の卵。水色、じゃなくて、空色、と言いたくなるような卵だったんだ。可愛くて、寂しげで、美しい、魔法の国の卵。  Tくんと見つけたのは、ひばりじゃなくてメジロの巣だったけど、冒頭の詩が、ビデオを見た時から頭の中に渦巻いていた。だから、あまり人に言わずに、宝物の世界を壊さないように、毎日こっそり遠くから眺めて、メジロたちを応援していた。  それが、今朝、いつものように遠くから巣を眺めたら、なんだか気配が感じられない。「そういえば、今朝、親鳥たちが紅葉の中を飛び回っていた」とTくん。そうか、巣立ちだったんだな。卵を見つけてから、約3週間だ。雨上がりの、晴れた、風のある朝のことだった。それから長いこと、まだ大手毬の白い花びらが飾られたままの巣を見つめた。  ひばりの詩は小学生の時に国語の教科書にあって、何度も音読したんだ。 ひばりのす          木下夕爾 ひばりのす みつけた まだたれも知らない あそこだ 水車小屋のわき しんりょうしょの赤い屋根のみ

あるでん亭のグリーンピースサラダ

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先日、Yさんがグリーンピースを持ってきてくれた。ほんの一掴みだったけど、さやから取り出してグリーンピースご飯を作った。グリーンピースはご飯と一緒に炊き込まない。グリーンピースのきれいなグリーンを保ちたいのと、シワがよって欲しくないからだ。 さやから出したグリーンピースの重さを測って、重量の1%弱の塩をまぶしておく。グリーンピースを茹でるお湯1カップに塩は2グラム。茹でたらそのまま冷ましておく。 お米2カップを研いで、グリーンピースを別にした茹で汁と水を合わせて415cc、それにお酒を大さじ2でご飯を炊く。 最後、炊き上がったご飯に、グリーンピースをまぜて出来上がり。 グリーンピース、実を言うと全然好きじゃなかった。ミックスベジタブルなんて地獄で、ニンジンもグリーンピースもあるなんて最悪。避けてどうせコーンしか食べないんだから、最初からコーンだけにしてくれという感じ。こういう子供は当時少数派ではなかったと思う。あるでん亭のグリーンピースサラダを初めて食べた時も、Rちゃんが「私、元々グリーンピース苦手なんだけどね…」と同じようなことを言いながら勧めてくれた。 あるでん亭、今もあるんだろうか。それまでスパゲッティと言っていたのをパスタと呼ぶようになった頃、いろいろなパスタを出してくれるお店だった。Rちゃんの彼氏のTちゃんがバイトしていたので、Rちゃんと時々食べに行った。パスタ、絶対美味しかったと思うんだけど、あまり覚えていない。覚えているのはグリーンピースサラダのことだ。 グリーンピースサラダにはグリーンピースしか入っていない。はっきり言って、サラダというより「グリーンピースのドレッシング和え」と言った方が合っていると思うんだけど、なぜかサラダという名前だった。このグリーンピースサラダ、ミックスベジタブルとかシュウマイの上のグリーンピースの、あの粉っぽいような、ボソボソと口に残るイヤーな感じが全くない。食感はプリプリ、そしてジューシー。スプーンですくってパクパクいくらでもいけるんだ。 あのグリーンピースサラダ、再現しようと作ってみたことがあるけれど、なんか違う。あるでん亭、今もあるのかな。グリーンピースサラダ、まだ出してるのかな。

だんだん上手になった燻製

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ちょっと前の話だけど、連休中に燻製を作ってみた。図書館で借りた『フライパンで山ごはん』に簡単に作る燻製が載っていて、作りたくなったというわけだ。 10年以上前にコストコで買ったアメリカンなバーベキュー道具スモーキージョーが活躍。 燻製にしたのは、プロセスチーズ、素焼きミックスナッツ、ししゃも、卵、筍水煮、鶏胸肉、木綿豆腐。下処理は極力しない方向で簡単に。適当にやった割に、結構おいしくできた。 あれは高校生の頃だったかな。父が燻製機で色々燻製づくりに凝っていたんだ。燻製の本を読みながら、かなり本格的にやっていたんじゃないだろうか。卵は最初から簡単に美味しく出来上がっていたと思う。それから鶏もも肉も「これは!」という美味しさに。でも、豚肉で作るハムだけは難しくて、固くなったり塩辛かったりで、中々うまくいかなかった。それでも味は良かったので、家庭で作るのはやっぱり難しいんだなと納得していた。が、きっと父は諦めていなかったのだろう。燻製づくりを始めて何度目かのこと。会心の出来と言えるであろうハムが出来上がったのだ!もう本当に、正にハム!食感といい味といい完璧で、家族みんな「こんなのが手作りできたなんて」と感激した。あれは何が美味しく作る決め手だったんだろう。あの後も何度か作ったんだろうか、初めて大成功したあのハム以降のことはあまり覚えていない。 そんな燻製の記憶が、今になって、自分もちょっとやってみようかという気にさせてくれたんだ。

最古のイチゴジャムの記憶

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この写真は、父が借りていた畑で撮られたものだと思う。ちゃんとアルバムに貼ってあった時に几帳面に添えられたコメントに書いてあったような気がする。 この写真、実はあまり人に見られたくなかったんじゃなかったかな。うっすら覚えているこの情景とともに、鼻の奥がツンとする感覚。3歳児にも辛いこと、あるんだよ。 写真の日かどうかは定かじゃないけど、この畑で父とたくさんたくさんイチゴを採った。 春の日差しを背中に感じてうずくまってイチゴを採る。暑いくらいだ。甘いイチゴの匂いに土の匂いが混じってる。夢中になって採る。甘いイチゴに小さいありんこがくっついている。手も甘い汁でベタベタだ。 たくさん採って家に帰った。玄関を開けたら家中がイチゴの甘い匂いでいっぱいになっていた。母がイチゴジャムを作っていたんだ。家の空気は完全にイチゴ色だった。むせ返るほどのイチゴの匂い。大量のイチゴジャム。 これが私史上最古のイチゴジャムの記憶。ちょっとおかしいな。イチゴ取って帰ってきたところなのに既にイチゴジャムは製造中だなんてね。 タイトル写真の裏に年と月が書いてあった。八兵衛が生まれた翌月。 当時はその頃がイチゴの季節だったんじゃないかな。この頃は冬が旬らしいけどね。

八兵衛のお姉ちゃん

 妹は八兵衛だった。八兵衛は水戸黄門に出てくる美味しいものに目がないキャラ。食いしん坊の妹を父がからかってそう呼んだ。家族は「さすが八兵衛だ」「八兵衛にはかなわない」などと面白がっていたけど、妹は不服そうだった。 お姉ちゃんの私の方は何も言われはしなかったけど、私、食べ物にまつわる記憶は妙に覚えているのだ。やっぱり八兵衛のお姉ちゃんだからかな。 特別自分に昔のことを覚えていられる力があるとは思わない。多分、食べ物に関する体験を繰り返し誰かに語る場があり、その話を聞いてくれる誰かに恵まれたということなんだろう。幸せなことだ。そして、話したかったことはいつも食べ物のことばかりだったんだな。やっぱり八兵衛のお姉ちゃんだ。 せっかくなので、どこかに書いておいたらいいかもと、ずっと思っていたんだ。