投稿

8月, 2023の投稿を表示しています

トマトにお砂糖

イメージ
   もう1ヶ月近く前の話だ。職場でプチトマトをたくさんいただいたので、この夏全開のお日さまパワーを活かさん!と、2Fデッキで干してセミドライトマトを作った。 なんでもこのプチトマトは90歳を過ぎたおばあさまが作った物だということで、お日さまパワーのみならず元気印がピカピカだ。  セミドライトマトはトマトを半分に切って、塩をパラパラ、それを網に並べて干すだけだ。トマトはそのままでも美味しいけれど、干すと旨味が増すので、刻んで料理に使うと美味しさ倍増、使い勝手がいい。  こんなふうに、干したり、カレーに入れたりすることもあるけど、やっぱりトマトは生で切って食べるのが一番多い。何も味付けせずにそのまま食べるのも結構好きだけど、何かかけるとしたら、塩とか、マヨネーズとか、ドレッシングとか、塩味のものが私の中では普通だ。そのトマトにお砂糖をかけて食べることがあるというのを知ったのは、小学校の5年生ぐらいだったと思う。  父に買ってもらった澤地久恵さんの本、本の題名は忘れてしまったけれど、その中にトマトの話があった。子どもの頃の久恵さん、トマトが夏のおやつだったんだって。 ------トマトを丸ごと1つ。ヘタのところをくり抜いて、そこにお砂糖を埋め込んで、トマトを持って遊びに行く。外側からかじって食べ進めていくと、どんどん甘くなっていくんだけど、トマトの汁とお砂糖で手も口もベタベタになる、でもすごくそれが美味しかったって、そんな話だった。 真っ黒なオカッパ頭のやせっぽっちの少女が、かじりかけのトマトを持って、手をベタベタにして、日に焼けた顔に映える白い歯を見せてガハハと笑っている様子が今も目に浮かぶ。って、会ったこともないのにね。しかも戦時中のお話だ。でもなぜか、その久恵さんは古い友達のように、私の頭の中に住んでいるんだ。 恐るべし、小説家の力。  それにしてもトマトにお砂糖だなんて、気持ちが悪い!と思う一方で、久恵さんがすごく美味しそうにトマトを食べるものだから、同じようにトマトを食べてみたいという気持ちもうっすらとあった。それが半分実現したのは、ある夏イトコのN美ちゃんとトマトを食べたときだった。  N美ちゃんはトマトを丸ごとではなく、食べやすく一口大にカットしてガラスの器に入れた。そして慣れた様子でお砂糖をかけたんだ。「こうして食べると美味しいって、パパに教えてもらった

掃除嫌いの呪いを解く

イメージ
  キレイ好きのJさん いつも羽繕い  ずっと掃除が苦手で、嫌いだった。そう思っていた。だけど、会社に入って、私に優しく根気強く色々なことを教えてくれたM先輩が、その呪いを解いてくれた。  ある時、M先輩と一緒に掃除をした。掃除の後、先輩は雑巾を洗い始めた。石鹸を使って、丁寧に。雑巾はもはや雑巾の様相を示してはおらず、まるで布巾のように見えた。そう、台布巾だ。それを先輩は、漂白剤を入れたバケツに浸した。ダメ押しだ。これでお皿だって拭けるくらい清潔になるに違いない。ほほーうっと見ている私に、M先輩、 「汚いと、触りたくなくなるでしょう。雑巾みたいなものほど、キレイにするのよ。」 って。  M先輩は、毎朝会社に来たら、私たちの部署の電話の受話器をいつも拭いていた。さっさっさーと数分で終わる作業だ。受話器は見た目には全く汚れてはいないのに、毎朝。 「毎日拭いているから、うちの部の電話はキレイでしょう。汚くなると、触りたくなくなるからね。キレイなうちに、拭いておくのよ。」  M先輩の掃除は「汚れる前にする」もの。 汚れているものを、キレイにするのが掃除だと思っていたけど、違うんだ。 へえ! 私が掃除の何を嫌いだと思っていたのか、謎がスルスルと解けて行った。  そう、私も汚いものを触るのが嫌だったのだ。 小学校の掃除の時間も、ジメジメしたニオイを放っている古びた雑巾を触るのが、嫌で嫌でしょうがなかった。 そして、掃除をする場所は汚れているのがふつうだ。だから掃除には、時間がかかる。でも、がんばればキレイになる。我慢してがんばろう! 掃除って、そういう修行みたいなものだという思い込みがあった。  それで、掃除が苦手で、嫌いだったんだ。  それがわかって、スッキリした。私は「掃除嫌い」じゃない。「汚いもの嫌い」なんだ。 だから、M先輩のように「汚れる前に」少しの作業を頻繁にするようにした。 もちろん、雑巾こそ、キレイに。 そして、どうしても汚れてしまった場所を掃除するときは、手袋をつけるようにした。 それで、ずいぶん掃除が苦じゃなくなったんだ。  ある時、大学で学生さんと一緒に掃除をした。掃除の後、石鹸を使ってゴシゴシ雑巾を洗っている私に「雑巾なのに、そこまでやるんですね。」って、学生さん。 「汚いと、触りたくなくなるでしょう。…」って、私。  私も、彼女の呪いを解いてあげられた

生まれて初めて作った料理

イメージ
   久しぶりに実家に帰って、両親の行きつけの居酒屋へ行った。「本日のおすすめ」でひと目見て気になったやつを父が(心を読んで!)注文してくれた。「水茄子の刺身」  水茄子っていうナスがあるんだよ、と父。ナスをアク抜きする時に水に浸すから、そう言ってるのだとばかり思っていたが、水茄子って水分が多くて皮が薄くアクの少ない高級ナスがあるらしい。 運ばれてきたお皿から、ふわっと瑞々しい茄子の香りがした。シャクシャク、あまーい! この茄子で思い出すのは、私の人生で初めての料理「茄子の塩揉み」のことだ。  通っていた幼稚園では、その年、ナスを育てていた。そして、ある日、そのナスを収穫。みんなで料理することになった。その時教えてもらったのが「茄子の塩揉み」。ナスを拍子木切りして、塩揉みし、さっと洗って、絞って、ちょっとお醤油をたらして、できあがり。簡単だ。  幼稚園生、生まれて初めて自分で作った料理の美味しさに感動した。それで、その日帰ったおばあちゃんの家で、もう一度作ったんだ。どうしても、おばあちゃんに食べさせたくて。  幼稚園からナスを持ち帰ることができたのか、おばあちゃんの家にあったナスを使ったのか、そこは全く記憶が無いんだけど、おばあちゃんに見てもらいながら、茄子の塩揉み、再現したんだ。これまた、とっても美味しくできた。この体験で、「茄子の塩揉み」が最初の料理レパートリーとなった。ハチベエにも何度も作ってあげた。  それからもう何十年も後、おばあちゃんが、ずうっと歳をとってからのこと。一緒にキッチンに立って、ナスを切っていたら、ふと、 「ねえ、あの時の茄子の美味しかったこと!あれは、ほんっとうに美味しかったねえ。」って。 うん、本当に美味しかったね。 2人で同じ記憶を重ね合えたことで、嬉しくて、嬉しくて、2人でたくさん笑った。  おばあちゃんにも、覚えてもらえてたんだ。 「茄子の塩揉み」の記憶は震えた。

暑中お見舞い申し上げます

イメージ
   毎日暑い。夏はこんなに暑いものだっただろうか、きっと温暖化で年々暑くなっているんだ。今年はまた格別に暑い、昨年はここまでじゃなかった!と毎年思ったり、人に愚痴ったりしているんだけど、5年日記を見てみたら、昨年の今ごろ「38℃!」だって。そうか、昨年よりは今の所マシっていうことなのか?!  先々週だったか、NHKの音楽番組SONGSでキャンディーズが紹介されていた。キャンディーズが日本ですごく人気があった頃は、多分私はまだ小さくて、あまり興味がなかったせいか、キャンディーズをテレビで見た記憶はほとんどない。でも歌は、大学生の頃、Rちゃんの彼氏のTちゃんの車でよく聞いた。Tちゃんが小学生の時通っていたシドニーの日本人学校では懐メロのキャンディーズが流行っていて、その時好きになったんだと言っていた。ほとんど知らないキャンディーズのことだけど、やっぱりすごく流行っていたんだね、あ、聞いたことある!って、歌がいっぱいあった。  SONGSで久しぶりにキャンディーズの歌を聞いた。それで、ふと思い出したんだ。子どもの頃、確かにキャンディーズの歌を聞いていた!って。 「暑中お見舞い申し上げます」  これ、私の耳には「 しょうちゅう、おみまい もうしあげます 」と聞こえていたんだ。 どうして、「しょうちゅう」って言っているんだろう。って不思議に思っていたんだ。  幼稚園児だったからね、「暑中」なんて語彙はまだなかったからだろうね。と私。  ふうん。つまり、「暑中」より「焼酎」が先だったんだな。とTくん。  あれ、そういうことか。けど、私の幼稚園時代、周りで誰が焼酎を飲んでいたんだろう。九州出身のおじいちゃんなら焼酎を飲みそうだけど、「おじいちゃんは昔からビール党なのよ」と母は言っていた気がするし…  色々と考えを巡らせている私の隣で、「焼酎か〜」とTくんは唸った。