薔薇を許せ

 

 今年は全体的に花たちの季節は早く進んでいるようで、すでに我が家のバラ(アンジェラちゃん)は品なく咲き誇っている。彼女の実家であるHさんちの美しく高貴な薔薇さま方とは大違いだ。バラは難しいという思い込みがあったので、当初、家にはバラは植えていなかった。引っ越して来てすぐの春、ご近所のHさんちのオープンガーデンにお招きいただいて、帰りにこのアンジェラちゃんの鉢を「これは強いから大丈夫!」との励ましと共にお土産にもらって来たのだった。品よく咲かせるには冬の剪定が決め手なんだと思う。そこが難しくて、毎年春だけはこんなにワァワァ咲くアンジェラちゃん。品はないけど、庭が一気に華やぐ。

 バラを植える気が無かったのは難しそうという理由だけではなく、バラには複雑な気持ちがあったからだ。実はバラが好きじゃなかった。子どもの頃も庭に薄いピンクのツルバラがあったから、ぎりぎり「ピンクなら許そう」とピンクは許容範囲にしていたけど、赤い薔薇が嫌いだった。Hさんにもらったアンジェラちゃんもピンクだったから受け入れられたのかもしれない。

 赤い薔薇が嫌いだったのは、小さい時に見たアニメのせいだ。小さな小鳥が薔薇の棘に胸を押し当てて血を流して白い薔薇を赤く染める、そんなシーンがある悲しい哀しいお話だった。その頃、うちにはJさんそっくりの白文鳥がいたから、その子とアニメの中の小鳥とを重ね合わせて、大泣きした。赤い薔薇を絶対に許さないと誓った。

 そんな話が本当にあるのか、記憶は薄ぼんやりとしていたけど、そのことを思うとみぞおちに熱い塊ができて苦しくなって、怒りが込みあげて来てたから、そのアニメを見た体験は現実なんだと思う。いつだったか「薔薇とナイチンゲール」というフレーズを耳にしたような気がして、もしかするとこれがあの、小さい頃に見たアニメの正体なのかもしれないと思ったけど、ずっと調べずにそのままにしておいてきた。

 それを今日、グーグル先生に聞いてみたんだ。

 出て来た。『ナイチンゲールと薔薇』だって。オスカー・ワイルドの童話だった。話の筋はだいたい記憶どおりだ。だけど赤い薔薇をカタキにするのは、ちょっとお門違いだったかもなあ。カタキにするべきものは5歳児には到底理解できない、人類にとって永遠のむずかしさを抱えるものだ。でも、5歳児がこの悔しい辛いやるせない気持ちをやりすごすためには、「赤い薔薇」のように分かりやすいカタキが必要だったんだろうな。

 それにしても、オスカー・ワイルド、他の作品はというと『幸福な王子』。これもツバメのことを思って大泣きしたやつだ。ねえ、オスカー!ちょっと、小鳥をヒドイ目に遭わせ過ぎじゃないの?

 私の小鳥は決してつらい目に遭わせないと、手のひらでお餅になっているJさんに誓った。