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雪の日のクッキー

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  雪や こんこ あられや こんこ 降っては 降っては ずんずん 積もる 山も 野原も わたぼうし かぶり 枯れ木 残らず 花となる 雪が降りはじめたのを見て、ハチベエと私、「雪」の入った童謡のレコードをかけて、窓の外の雪のリズムで飛び跳ねながら歌った。雪、積もらないかな!積もるといいなあ! 今は「大雪」となると雪国じゃない地方の小学校は休校になるみたいだけど、私の時代は違ったんだ。雪が積もると、先生が「今日の授業はなし!雪で遊ぼう〜」と言って、「わーい!」と私たち。グラウンドに出て、雪だるまを作ったり、雪合戦をしたり、楽しいことばかりだった。 雪や こんこ あられや こんこ 降っても 降っても まだ 降りやまぬ 犬は よろこび 庭 かけまわり 猫は こたつで まるくなる そう。犬はよろこび、って、本当なんだ。帰ってからはハチベエとワンコを連れ出して遊んだ。ワンコ大はしゃぎ。積もった雪の中をハフハフと、なんだか泳いでいるみたい。雪だるまじゃなくて、うちのワンちゃんそっくりの雪ワンコを作ろうと、2人で無心に作り続けたこともあったっけ。 雪遊びで夢中になって、心はポカポカ。でも、体は冷え冷えだ。いつかの雪の日、家の前の田んぼをはさんで向こう側に住んでいたTちゃんと遊んだ後、Tちゃんのお母さんに淹れてもらったあったかーいお茶を思い出す。「あら?このクッキー、ずいぶん冷たいわね」とTちゃんのお母さん。カバンの中に入れていたパパの手作りクッキーは冷えきっていたんだ。冷え冷えの絞り出しクッキー。真ん中に乗せられた赤いジャムはカチコチだった。 「大雪だ、大雪だ」と、先週から言われ続けていたけど、私の住むまちでは雪は舞っても積もるようなことはなく、むしろ台風みたいな強風のほうが心配なくらいでちょっと拍子抜けだった。それがなんと今朝、急に雪が降り始め、1時間ぐらいで庭にふわり綿帽子をかぶせた。 もう雨に変わってしまったけど、今日のお茶の時間には手作りクッキーを食べようかな。

先手必勝

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  C先輩と久しぶりのチョコレートクラブを開催した。チョコレート好きの2人、チョコレートパフェを食べる会だ。でも毎回のように場所探しに苦労する。今回も「ここだ!」って前に見つけて、Googleマップに保存していたお店があったのに、さあ行こうという段になって、閉店していたことに気がつき、ガックリ。探し疲れて行くことにしたのは、まさかのファミレスだった!
最近のおしゃれカフェと違って、昔ながらのファミレスは「インスタ映え」とか気にせず、地味なチョコレートパフェもちゃんとメニューに載せてくれていた。
リーズナブルな価格でお腹いっぱい、飲み物も飲み放題、おしゃべりも弾んで楽しかったんだけど、問題が1つ。寒かったんだ。 帰り際からいやーな予感。喉に違和感。きっと何時間も薄ら寒い席にいたせいだ。 もういやだー!こんなお正月前に絶対寝込みたくない〜!!どうしよう、熱が出るかもー!と大騒ぎの私に、Tくんは「大丈夫だっ!」と強い確信の目を向けて言った。
それなのに、私はぜんぜん励まされずに、ショボーンとよわーい気持ちで夕食のサラダの葉っぱをかじっていたら、Tくん「カイゲン飲んだら?あ、葛根湯は?」
そうだ、そうだ。コロナ禍を経て、しばらく風邪との戦いをしていなかったから、戦い方を忘れていた。こんな時は葛根湯だった。 まだレタスしか食べてないから、間に合うはず!と急いで葛根湯を飲んだ。
そして、お風呂の後はネックウォーマーをして、ホットレモネードに生姜パウダーをかけまくって飲んだ。その夜はポカポカと体が温まり、寝ている間に汗をかいた。 朝、起きた時は昨日の喉の違和感は消えていた、が、今度は胸の辺りがムズムズ、咳が出そうで出ない感じ。えー!喉より奥に入り込んじゃったか??と負けそうな気持ちだったけど、「いや、負けないぞ!」と自分を奮い立たせ、葛根湯とジンジャーホットレモネードに加えて、首の後ろのツボをカイロで温める攻撃も追加。夕方は微熱も出てきて、もうダメかもとまた弱気が出てきたけど、お湯にレモンだの生姜だの蜂蜜だの入れたものをひたすら飲み続けて頑張った。 そして迎えた今朝。体が軽い!ゾクゾクもない!ムズムズも消えた!わーい勝利だ! お正月を前にして、「風邪には先手必勝」を再確認できたんだ。

朝のじゅもん

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母に編んでもらったお座布団に何とか乗ってくれたJさん おねむ  両親は早起きだ。というより、父が早起きなんだ。だから、帰省すると自然と朝型になる。それで、実感する。早起きすると1日が長いなあ〜って。 帰省から戻って、朝のじゅもんを思いついた。アラームが鳴ったら、じゅもんを唱えるんだ。 「ハヤオキハ ナンモンモノ トク、ハヤオキハ ナンモンモノ トク、ハヤオキハ ナンモンモノ トク」 そう、早起きは何文もの得! これ、効果抜群。 今朝もじゅもんを唱えて、がんばって起きました。 きっといい日になるね。

クリスマスが好き

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今年もJさんにサンタが来ました 小さい頃からクリスマスが好きだった。 お正月よりも、ひょっとすると誕生日よりも好きかもしれない。 空気が冷たくなってくるにつれて、街に増えてくるクリスマスっぽい飾り、ケーキやチキンの宣伝、お店に流れるクリスマスソング。まず世の中にワクワクさせられるんだ。 お家でもクリスマスツリーを飾った。一番古い記憶にあるツリーはおそらく輸入品だったんだと思う。この間テレビを見ていたら、どこか外国のクリスマスツリーに飾られていたサンタのオーナメントが昔ウチにあったものとそっくりだったんだ。英語しか書かれていない箱の中に入ったピカピカのカラフルなボールも好きだった。毎年数が減っていくのは割れちゃうから。ガラスでできているんだよね。見かけは金属のように見えるから、割れちゃうのが不思議だった。ツリーにめぐらされた電球が色とりどりにチカチカしたら、もうすっかりクリスマス気分だ。 さらに、お家でのパーティーは一大イベントだった。父がそれはもう、腕に寄りをかけて家族を楽しませてくれたんだ。 数えきれないほどの楽しい思い出があるけれど、とりわけ印象深いのはただの和室をディスコホールに変身させた作戦だ! ハチベエが赤ちゃんの時に遊んでいた知育おもちゃ、丸いボールにいろいろな形の穴が空いていて、穴と同じ形のブロックを当てはめて中に入れるっていうやつがあったんだけど、パパはそのボールを使ってミラーボールを作ることを思いついたんだ。私は加工されたそのボールにミラー状に光る四角い小さなシールをひたすら貼るという仕事を任された。もちろんその時は何も知らずに。 パーティー当日、当時の家ではリビングとして使っていた和室の真ん中にミラーボールが設置された。部屋の電気を消すと、和室の各コーナーからカラフルなライトがミラーボールを照らした。そして、パパが魔法をかけると、ミラーボールはくるくる回り始めたんだ。かくして、我が家にディスコホールが出現したのだ! これ、くるくる回ったのは、ハチベエが赤ちゃんの時のベッド用オルゴールを再利用してたんだ。カラフルなライトはカラーセロハンを貼った大きな懐中電灯の光。 あるものを工夫して楽しくしようっていう、私の中にある性質は、こうやって育まれてきたんだな。 なんて、しあわせなこと。 メリークリスマス!

無理して捨てなくてもいい 2)

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  プレゼントについていたリボンやマスコット、お友達が児童館で作った紙工作、拾った松ぼっくりなど、捨てられずにいたモノたちが毎年ホリデーシーズンに活躍。 小さい頃は「片づけ」ってなんか嫌だった。「おかたづけしなさい」って言われても、何をどうすればいいのか、ハッキリ分かってなかったからだ。でも、今は違う。極意をつかんだからだ。片づけでいちばん重要なこと、それは「元に戻すこと」だ。 しかしながら、「元に戻す」ためには、「元」の住所が決まっていないとダメだ。 住所不定のモノたちばかりの部屋を「お片付け」するのは大変だった。どこに戻せばいいのかよく分からないから、お片付けが簡単じゃないんだ。その時考えないといけないことが、いっぱい出て来て面倒臭い。その時あいている場所を探して、なんとか適当に収めて、ごちゃごちゃしたものは全部、袋とか箱とかに入れて見えない場所に押し込んだりして。部屋は見た目は片付いたように見えても、こんなやり方では、また物探しから始まって、混沌の部屋に逆戻り。徒労感満載。本当にお片付けって嫌だった。 それが、住所を決めてあげればいいんだ、ということに気づいてから大分楽になった。住人(住 モノ か!)の家(収納先)に表札(内容を示すインデックス)をつけるというやり方が昔からあるのは、こういうワケだったんだね。うちでは逆に、モノ自体に収納先を示すラベルシールを貼っているものもある。いくつかあるハサミに【玄関】【机】とかね。 住所が決まっていると、お片付けは随分楽になる。「元に戻す」だけだからだ。ワンアクション。他に考えることがないから、簡単にできる。 この基本的なこと、「無理して捨てなくてもいい」と言い切る米田まりなさんの本には、これをとことん、隈なく極めることで「捨てる」という選択をなくすという方法が、丁寧に解説されていた。この通りに実践すれば、家にある全てのモノの住所が決まるんだ。 縁あってウチにやって来たモノたちは大切にしたい。役目を果たさせてあげたいと思う。適当な場所にしまわれて忘れ去られてしまったモノはかわいそうだ。大切にしているとは言えないだろう。そんな気持ちが「お片付け」をちゃんとしようという気持ちにつながっているんだ。

無理して捨てなくてもいい

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  片付けが好きだ。というより片付いた部屋が好きなのか、いや、片付いていない部屋が好きじゃないんだ。 片付いていない部屋、それは見た目ではない。片付いていない部屋というのは、どこに何があるのかがサッと分からない部屋のことだ。そんな部屋では、どうしても物を探すことが多くなってしまう。その時間は本当にもったいない。何も生み出さない無駄な時間だからだ。 それが悔しくて、「ああ、片づけなくては!」と片づけることになる。 「だんしゃり」と入力してキーを押すとすぐに「断捨離」と変換されるぐらいの今日このごろ。片づけというと捨てることから始める、と思い込んでいたから、モノに愛着を持ってしまいがちな私は、この本のタイトルを見た時にハッと惹かれた。 米田まりなさん著の 『モノが多い 部屋が狭い 時間がない でも、捨てられない人の捨てない片づけ』 だ。 米田さんはたくさんのお気に入りのモノたちを捨てることなく上手に管理し、片付いた部屋で気持ちよく生活することに成功しているんだ。この本では、捨てたくないものを無理に捨てずに、管理する方法を教えてくれている。だから、 ①片づけ=捨てることである。
②しかし、勿体無い精神が先立って、捨てること=良くないことと考えてしまう。
③したがって、片付けられない という魔の3段論法に陥ってしまっている人にはオススメの本だ。この本を読むと、片づけとはそういうことか、と本質的なことが理解できる。 そう、片付けは捨てることから始めなくていいんだ。無理して捨てなくてもいいんだ。

ふりかえりのモナカ

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   小さい頃はあんこって苦手だった。だから、私にとってモナカなんて、「 味があるんだか無いんだかよく分からない皮にはさまれた大量のあんこ 」というだけの食べ物で、全く興味のないお菓子というか、自らすすんで食べようというものではなかった。だがしかし!このモナカは違ったんだ。  名古屋に行った時に空港で買ってきたモナカ。ガイドブックの「実は名古屋は和菓子も美味しい」という一文にひかれ、さらに、どうして名古屋の和菓子が美味しいかって、【秀吉の茶の湯→ご執心】から来てる、みたいな文にもひかれ、そこに紹介されていたモナカを試しに買って帰ってみたら、「モナカのくせに」本当においしかったんだ。これ、お土産にあげた人たちからも口々に言われたので、美味しく感じたのは私ばかりではない。すごい、すごいぞ秀吉!名古屋の和菓子のレベルアップに貢献してたんだね!って感心した。  それで、この間、Tくんが名古屋に出張だと聞いて、真っ先に思ったのはこのモナカのことだった。でも、憶えているのは名古屋のモナカっていうことだけ。名古屋に行ったのはいつのことだったかもはっきりとは憶えていなくて、お土産のリクエストを出せないまま、Tくんは出張に行ってしまった。ここで、ふつうならあきらめてしまいそうなんだけど、ここは八兵衛のお姉ちゃん、確か名古屋で写真を撮ったはず!と写真を検索し、それが2017年のことだったことを調べ上げた。次に、2017年の手帳を出してきて、パラパラとめくった。そして見つけたんだ! 【不朽園の最中】 のシールが貼られたページを!  わーい!あった、あった!と大喜びでこの手帳のページを撮って、Tくんに送りつけた。Tくんは最初、一体何のことか分からなかったようだけど、「これを買ってこいってことね?」とお土産に買ってきてくれた。さすが、つきあいの長いTくんだ。  7年ぶりの不朽園の最中を心ゆくまで味わいながら、7年前の手帳を見返した。自分の書いた手帳ほどおもしろいものはない。あっという間に飛んでいった7年間だという気がするけれど、たしかにこの手帳に2017年を生きていた私が記録されていた。たしかに【時間】を捕まえておくのに手帳は有効だ。   ちゃんと、毎日を、彩り豊かに、生きているよ 、と、2017年の私に励まされた。