「知る」ことから始める

「並に日が通る」と書くと「普通」という言葉になります。

 知的に障害のある現代アーティストたちが創作活動を行なっている「アトリエ インカーブ」代表の今中博之さんのインタビュー記事を新聞で読んだ。

当たり前に太陽が昇って、沈んでいく。けれど、障害がある人の置かれた立場や、彼ら彼女らに対する社会のありさまは、全く普通ではない。

 こんな怒りから今中さんの事業は始まったという。今中さん自身にも先天性の両下肢障がいがある。

 「多様性」ということ、最近よく言われているけど、今中さんも多様性があるということ、障がいがある人などのことを考える社会になるのは大変なこと、と言っていた。その上で、今中さんが子どもたちに伝えていること、というのが、

まず「知る」ことから始めてほしい

 高校生の時の保健体育の授業で、コイケ先生(ラーメン頭だったのでこっそりそう呼んでいたんだ)が初めから最後まで言っていたのが「無知から既知へ」だった。およそ保健体育の授業とは思えないような、今から考えると非常に哲学的な、人生設計の授業だったと思う。いい先生だったな。それと、「僕はね、88歳で死ぬ病気にかかっているんだ」こんなことも毎回言っていたっけ。おっと、それはまた別の話題だ。

 今中さんは、マイノリティーを取り巻く社会の状況には、「負のスパイラル」があるという。
①無知(知らない)→②無理解(分からない)→③誤解→④偏見→⑤差別→⑥排除→①無知…

 「知らないこと」が負のスパイラルの始まりだから、「知る」ことで、これを断ち切ることができるはず、と。

 今中さんの娘さんは、生まれたばかりの頃から、障がいがある方たちの施設に行ったり、アトリエに来たりしていて、障がいがある方たちと自然に接しているそうだ。

生活を通して、多様な人と一緒にいること、そばにいること。それが”共育”だと思います。学校で教わったり、本で読んだりすることも大切ですが、同じ場にいることで、自然に彼ら彼女らのことを「慮る」ことができるようになります。

 父が小学生の頃、同じクラスに体が不自由な子とか、てんかん発作がある子とかがいて、一緒に授業を受けていたんだって。特別扱いというわけではなく、みんなと同じように遊んだり、喧嘩したり。それで、彼らに何か困ったことがあったら、子どもたち同士が自然に助け合って、なんとかしていたんだって。この話を思い出した。

 それで、うん。たしかに、パパは自然に、「慮る」ことのできる人だ。

 もう、人生半分以上過ぎているけど、今からでも遅くない。まずは「知る」ことから始めればいいんだ。